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【意訳】ベネディクト・マスリンがNBAドラフトに参加するまでの道のり

引用記事:(ドラフト前の記事)

www.sportsnet.ca

※曖昧な所はニュアンスを変えているので原文と変わっている所もあると思いますがご了承下さい。

 

モントリオール出身の20歳のベネディクト・マスリンをひと目見れば、精悍(荒々しく鋭い様)さがわかるだろう。バスケットボールにかける思いは人一倍強く、真剣そのもの。

自身に満ち溢れたオーラを放ち、周りに私を見くびるなと警告を発しているように感じさせた。

15歳で通っていた高校を中退し、メキシコシティNBAアカデミー・ラテンアメリカに入学して以来、マスリンが取り組んできたメンタリティーだ。

 ホッケーとフットボールの選手として育ったが、10代の若さでバスケットボールの4つ星選手となり、NBAドラフトでトップ10入りが予想されるほどの出世頭となった。

しかし、彼はいい加減なことでは満足しない。彼はこれまでで最も偉大な選手になりたいと思っている。そして、彼はそうなることを信じている。

5月下旬のNBAドラフトコンバインでのインタビューで、マスリンは5年後の自分の姿を聞かれた。彼の答えは "NBAのベストプレーヤー "だった。

 

6フィート6インチ、205ポンド(約198cm,92kg)のウィングは、口先だけではありません。サイズと強さ、ダイナミックなシュートスキル、シュートクリエーション能力、そして弾むような運動能力を兼ね備えたマスリンは、複数のポジションをこなし、オンボールとオフボールの両方で成功できる、現代のNBAに最適なウイングである。実際、マスリンは過去数シーズン、NBAアカデミーやアリゾナポイントガードからパワーフォワードまであらゆるポジションを経験し、その高度なゲーム感覚を頼りにさまざまな役割を成功させてきた。

 

しかし、今のマスリンがあるのは、技術的なこと以上に、モントリオールの都心で育ったことと、家族が導いてくれた影響が大きい。

「私の出身地では、間違った道を選んだり、人生で成功する機会に恵まれなかったりした人がたくさんいます」

と、マスリンは最近のインタビューで語った。 

「私は、そのことが私を形成したと思います。私は人と違うことをしたかったし、人生で偉大なことを成し遂げ、モントリオールの子供たちにインスピレーションを与えたいと思ったのです。」

彼はすでにそうなっている。

モントリオールは近年、ジョエル・アンソニー、クリス・ブーシェー、ケム・バーチ、ルー・ドートなど多くのNBA選手を輩出していますが、この街から、これらの選手のうちドラフト1位で指名されたり、真のNBAスーパースターに成長した選手は現状一人も見たことがないのです。

 

マスリンは、ケベック(カナダの州)やカナダの選手達が後に続くNBAへの新しい道を切り開き、NBAアカデミーの1つの参加した最初のカナダ人となりました。このプログラムは、アメリカ以外の高校生のトップアスリートに、選手育成への全体的なアプローチを提供する、通年のエリートバスケットボール育成プログラムです。初めて家を離れスペイン語も流暢になり、急成長を遂げたマスリンは、アリゾナ大学の奨学金を得て、2年間の留学に成功した。

マスリンは過去2シーズン活躍を見せ、1年目にはPac-12オールフレッシュマンチームに選ばれ、昨シーズンはPac-12プレーヤーオブザイヤー、Pac-12トーナメントの最優秀選手、AP通信によるオールアメリカンのセカンドチームに選ばれました。

1試合平均17.4得点、5.6リバウンド、2.5アシスト、FG45%、3P37%の確率でシュートを決めることができた。マスリンは、自分は根っからのショットメーカーだと言うだろうし、彼のコーチもそう思っている。

「彼はNBAで20点平均して得点できるポテンシャルを持った選手だと思う。そんな男は、この地球上にそうそういない。彼は素晴らしい頭脳とマインドセットを持ち合わせています。そして、彼はこれまで私に話してくれたすべての目標を達成してきたのだから、それを達成できないとは言わないよ。」とマスリンをアリゾナ大に勧誘し、彼の精神的な強さと知性を元アリゾナ大出身のウィング、アンドレ・イグダラと比較した副ヘッドコーチ、ジャック・マーフィーが言った。

マスリンは、次の世代にインスピレーションを与えることを目標に、着実に成果をあげています。ケベック州出身の有望な数人の選手が、彼の足跡をたどり、NBAアカデミー・ラテンアメリカを進路として選びました。その中には、オリビエ・マクサンス・プロスパー(マーケット大学)、トレ・ヴォーン・ミノット(サウスカロライナ大学)、ウィルゲンス・エグザクト・ジュニア(最近ユタ大学に入学)などが含まれています。

「私が若いころ、モントリオールにはいい選手がたくさんいましたが、アメリカに行くチャンスはありませんでした。カナダ出身の選手がアメリカに留学して才能を発揮するのは、当時はかなり難しかったのです」と、アリゾナ大学2年目のシーズン中にマスリンは電話インタビューで語っている。「そして、私の出身地のバスケットボールは大きくなるばかりです......私が若い頃に離れて以来、ゲームは大きく成長したと感じています。」

マスリンは、NBAドラフトで10位以内に入り、ケベック出身の次世代ボーラーにインスピレーションを与えることができたが、彼の人生に大きな影響を与えた2人の人物、彼の兄弟がいなければ、そもそもこのような立場にいなかっただろう。

兄と姉の影響で6歳の時にバスケットボールを始め、彼らの練習で初めてボールを手にし、その成功する姿を見てスポーツを続けるようになりました。兄のドミニクは15歳、弟のベネディクトは12歳のときに自転車事故で亡くなるまで、彼の親友だった。しかし、その喪失感はマスリンをあきらめさせるどころか、さらなる努力へと駆り立てた。最近のインタビューでは、「兄がいるからこそ、私は毎日人生を歩み続けることができる」と語っている。彼がいたからこそ、私は人生の全てにおいてベストを尽くしたいと思うのです。」

姉のジェニファーは彼のアイドルであり、彼を限界に挑戦させ、人生の道をまっすぐに歩ませる。ベネディクトはスポーツへの共通の愛情を通して、亡き兄の喪失を悲しんでいるのだ。

強豪ノースカロライナ州立大学女子バスケットボール部で4シーズンプレーし、現在はビショップ大学女子チームでアソシエイトコーチを務めるジェニファーは、幼い頃からベネディクトより強く、厳しいドリル自分に課し、自分の実力をマスリンに見せつけていたという。マスリンは、この姉のおかげで、同世代の他のプロスペクトとは、一味違う不屈の精神と自信を身につける事が出来たと信じている。

「私が人生に自信を持てるのは、姉のおかげです。彼女は私に試練を課した。だから当時は色々なことに直面し、それが自信に繋がったのです。」

NBAアカデミー・ラテンアメリカのテクニカルディレクターであるウォルター・ローズ氏によると、マスリンが他の選手と違うのは、その自信にあるという。

NBAアカデミーに参加する選手の大半は、NBAに行くという夢を持っていると思います。しかし、そこに至るまでの姿勢や規律を備えている選手はそう多くはないでしょう。ベン(マスリン)は常に自分を信じている子だと思います。彼の自尊心はとても高く、傲慢というほどではないですが、それは、ただ本当に自分を信じているのです。」

マスリンはどんな困難にも耐え、自分を信じ続けてきました。ドラフト外オクラホマシティ・サンダーに入団し、カナダ男子代表との両方で重要な役割を果たすまでに成長した、同じモントリオール出身のドートと、これほど強い絆で結ばれている理由はそこにある。

「ルーが出来たのだから、僕にも出来るはずだ。彼がどこから来て、どんな苦労をしてきたかを見て、私と同じように簡単なことではなかったと思う。」

「とてもいい関係を築いているように思います」チーム・カナダのナサニエル・ミッチェル監督は、マスリンとドートについて次のように語っている。トレーニング・キャンプでは、ドートが彼のところにやってきては「おい、ちゃんとやれよ。」と声をかけていました。2人ともモントリオール出身なので、お兄さんのような役割です。だから、2人はとてもいい関係なんです。そして、彼らはいつも会話交わし、お互いを助け合っているんだ。」

マスリンは、ドートとNBAで対戦することを最も楽しみにしている選手であり、どちらが”big bro"で”little bro"(どちらが上か)なのかはっきりさせたいと考えていると語った。」しかし将来2人が祖国のために一緒にプレーする可能性もあります。

マスリンは、昨夏ラトビアで開催されたFIBA U19バスケットボールワールドカップでU19カナダ代表として出場し、1試合平均16.1点を挙げ、銅メダル獲得に貢献しました。しかし、その夏の初め、マスリンは、ビクトリア(カナダのブリティッシュコロンビア州)で開催されたオリンピック予選に向けた最終選考会で、シニアチームと練習する機会を得たのだ。マスリンはニキール・アレクサンダー・ウォーカー、RJ・バレット、マイケル・マルダー、アンドリュー・ウィギンスといった2ガードのローテーションを守る際に際立った活躍を見せました。この経験は、キャンプで多くを学んだマスリンにとってだけでなく、ニック・ナースヘッドコーチやコーチングスタッフにとっても、18歳のマスリンが当初考えていたよりもシニアチーム入りに近づいているのではないかと考え直さなければならないほど、目からウロコのものであった。

「彼はとても自信を持っています。彼は、『ここにいるだけでチャンスを得ることができる』というような甘い考えで入ってきたとは思えない。彼はプレイしようとして参加してきた」

最初の2日間は、「(シニアチームの)みんなは、この選手(マスリン)を力を試してやろう」という感じだったと思う。 「そして彼はいいプレーをしていた・・・コーチたちは、本当に、本当に感心していた。彼の運動能力、サイズ、そしてシュート能力に感銘を受けました。」

シニアのナショナルチームに入り、いつかオリンピックに出ることが目標だと語るマスリン。しかし今は、2022年のNBAドラフトのトップ10で自分の名前が呼ばれ、モントリオール生まれの選手として初めてその栄誉を手にすることになりそうな木曜日に集中している(6位指名でした。)

マスリンは、何よりも勝利を優先するチームに所属したいと考えている。ルーキーであっても、すぐにインパクトを与え、チームの勝利に貢献したいのだ。それは、ルーキーとしては稀有なことだ。

しかし、マスリンを見ればそれに挑戦する理由がよくわかるはずだ。

 

 

最後まで拝読いただきありがとうございました。